| 「道州制は州都などへの一極集中が進むのではないか、また、財政面のことだけを考えているのではないか」という疑問に対して | 2004/12/09 | 先ず、地方自治は「補完性の原理」と言いまして、基礎自治体(市町村)が基本であり、そこで出来ないことを広域自治体(県、今後は道州)、更にそこでも出来ないことを国がやる、というのが基本原理です。 道州制は国がやることを最小限(防衛、外交、通貨、等のみ)に止め、殆どの行政を税源も含めて地方に持って来ようというものです。ここでいう地方とは勿論基礎自治体と、それを束ねる道州のことを言います。 従って、今迄中央官僚がコントロールしていた地方行政の大部分を道州でコントロールし、県がコントロールしていたものの大部分を基礎自治体でコントロールすることになり、全ての行政が住民の近くに来ることになり、住民の意思はより早く、より的確に行政に反映されることになります。 基礎自治体や道州をどのように運営するかは、正に住民の意思で決められるものであり、決して与えられるものでも、押し付けられるものでもありません。 結果として道州間で違いが出来るのは当然で、むしろ好ましいことと考えています。
州都を何処にするかという問題は避けて通れません。 地理・歴史・文化・経済等を考えて最も適切なところを選ぶべきでしょう。この綱引きがこじれて大局を見失うことのないようにしたいものです。
州には今迄県にない新しい機能が入って来ますが、一方で基礎自治体に移管する機能も多くあり、州都への一極集中ということはあまりないと思います。 州の中の都市部と農山村部との調和をどうするかは、正に住民が考えなければならないことで、住民次第では道州間で大きな差が出来る可能性もあります。 ただ、道州制にしたからといって、都市部と農山村部との差が広がるという必然性は何もありません。 しかし、今回の市町村合併に乗らずに、小さな自治体のままでいくと宣言しているようなところに、県の機能を移す訳にもいかないので、志は高く評価するものの、これをどうするかはこれからの課題になるでしょう。ただ言えることは、幾つかの選択肢の中から選んだのは住民ですので、そこから発生する不便、リスク等は勿論住民の力で解決することになるでしょう。
また、道州制はそれが先にありき、ではありません。 先ず、国の視点で見ますと、高度成長時代に全国一律主義で進めてきた現在の中央集権体制では、効率性をも追求するようになってきた地方の個別の問題に、最早適切に対応しきれなくなっており、それを無理に一律にしようとすることで大いなる無駄が続いております。 その結果、国も地方も膨大な借金を抱え込んでしまいました。この借金は勿論次世代へのツケになるわけですが、少しでも我々の世代で借金を減らさなくてはなりません。 そのためには、今のような地方が国にぶらさがり、国からお金を頂戴するようなやり方や意識を根本的に変え、一日も早く地方が自立し、地方の活力で国を支えるようにしなければなりません。 道州制は真に地方が自立する最適の形と考えています。
次に、地方の視点で見ますと、地方の経済活動で得られた税を一旦国に吸い上げられ、それを頭を下げて再分配してもらうというのが今迄の構図です。 このやり方では国に頭を下げることのみに汲々として、独自のやりかたで自分達の地方を活性化し、税を増やし、それを自分達の地方の再生産・再活性に廻すという発想は出てきません。 税源と権限を持った道州・基礎自治体が、その地域に合ったやりかたで、その地域を経営することにより、はじめてその地域に活力が出てくると思います。 道州制は真に地方に活力を与える最適の形と考えています。
先般の新潟県中越地震での対応を見ても、初動対応を迅速・適切にすべき、また常時その準備をしておくべき市町村も、大掛かりな二次対応をすべき県も、あまりにも規模が小さく、災害大国日本ではそういう視点からも行政区画の見直しは必須だと思っています。
岡部俊雄 okabe151@nifty.com |
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